一時間で何がわかるか

一時間での行動に縛られるのは、学習指導案が一時間で構成されるから?

一時間のめあてがあり、一時間で身に付けさせたい内容があり、そこまでどうたどり着かせるかにこだわる。
どんな工夫ができて、どういう順番でどう発問して、支援の必要な子にはどんな手立てをして…授業者として一時間をデザインする。
 
その癖が自分をついついイライラさせる。
授業内での子どもの姿を理想化してしまう。
 
子どもの学びって、そんな一時間で構成できないと自覚することから始めないと。
 
 
研修のあり方も問題になってくる。
 
一時間の参観授業で見とれたことだけで話し合うのでなく、単元づくりや単元を通した子どもの学びを見とることで話し合うのが理想的。
 
そんな継続的な長期的な授業参観とフィードバックの場…
これは職場でないと難しいか。
だから、このような研修を職場に作りたい。メンター制?
 
一時間でゴールにたどり着くための支援なのか、子どもが体験し、そこから学ぶための支援なのか、そこはちゃんと分かった人と、高め合いたい。
 
方法論はどうであれ、子どもが自分らしく自分で学んでいけるための実践をみんなができる職場に。
 
巻き込む力。
発信する力。
こっそり自分の実践をしている場合ではない。