本当の賢さって

三平方の定理も後半の活用場面、課題は難易度を上げていく。
 
そんな中、今までみたいに模範解答も置かずに学び合いを行う。
これは予想していたものの、なかなかに炎上した授業。
これまでは、困ったら答えやに頼れていたのが、その頼り先を失った状態。
 
正解が何か分からない状態で、自信をもって根拠が伝えられる力…これをつけたくて数学を学んでいるようなものだ。
答えのない時代に、納得できる論理を持つことが大切。
 
「先生、これで良いんかな?」
誰もできていない中でも積極的にフィードバックを求められる行動力。
 
答案を見ると、良い見方。答えも合っているが、あえて突っ込む。
 
「へぇー、で、なんで?」
 
 
そこで、どんな反応になるか。
改めて考えようと粘れるのか、めんどくさくなって投げ出すのか。
 
 
徐々に、教室の中にそこを乗り越えて正解にたどり着く人も出てくる。
どうやら答えはこれになるらしい、という情報が飛び交い始める。
 
 
そうなったとき、勝手に挫折感を味わって思考からドロップアウトする子、自分より優れた考え方にすぐに飛び付ける子、そして、自分の立てた仮説を元にとことん深めていく子。
 
 
自分でドロップアウトしないための行動を選べているのであれば、そこに学びがある。
失敗したとしても、それは、「その仮説は成り立たないことを見つけた」という成功でもある。
 
 
学び続けられる、学びに向かい続ける力。
それが本当の賢さではないか、とか考えつつ、教室を観察する。
 
学びに向かう姿勢を評価する時代がやって来ている。
その意味を、各自が自分で腹落ちさせることが必要。
 
自分の中では、このような本当の賢さについて、生徒の姿から見とっていくことだと思う。
 
 
じゃあペーパーテストでそれが見とれるか?
じゃあ行動観察で、クラス全員を同時進行で見とれるか?
 
だからこそ、対話が必要だ。
毎時間書かせていく。
自分が学べていたのかを振り返り、言葉にできるか。
 
 
何が起きたの?どう思ったの?どうして?どうしたいの?